凡人のボヤキでチョットだけ世界が垣間見える話【ミャンマー情勢】

こんにちは。昨日、書類の整理をしていたら懐かしい名刺を見つけ、つい感慨にふけってしまった室長のTOSHIです。

それはウチの会社が積極的に海外事業を手掛けていた頃、とあるイベント参加時に交わした名刺。相手はミャンマー人男性のカーディーラー。ミャンマー国内の主に富裕層に日本車(中古車)が大そう人気が高いのだとか。日本国内の中古車市場価格よりも、2~5倍の値でミャンマーでは取引されている、とディーラー本人から話を聞き、当時驚いたものでした。それはもちろん売価が日本の相場よりも高いということも然りですが何より、ミャンマーの富裕層の経済力の高さ。そして自身、世界を相手の事業をウタうわりには「世界経済への疎さ」を実感し愕然。・・・そんな記憶も蘇りました。

そうそう・・・。この彼は日本語が大変流暢。でも「舵取り」がチョット粗野な面もあり。会話中、彼の言い回しにハッとさせられる時もありました。まあしかし憎めない人柄の方でしたね。

カーディーラーであるミャンマー人の名刺
書類整理中に引き出しの奥から出てきたミャンマー人カーディーラーの名刺。住所はヤンゴン。

あれからもう、かれこれ3年は経つでしょうか。取引に無関係な情報はたいがい破棄してしまう性格の私(←酷い)。でもこの名刺はしっかりと保管していました。海外事業とは言っても実際に世界を飛び回るほどの取引でもなく、商談の大部分はエージェント企業を介してWebで完結することが多い。ある程度のステップをクリアすれば、想像以上にお手軽なのです。しかし、海外の方とのリアルなFace to Face は大変貴重な出来事。当時、事業がノリノリで前後不覚気味な私でもそれを重んじたのでしょう。例え商談がまとまるかどうかわからない単なる「とあるイベント」で交わした名刺だしても。

ミャンマーで拘束の日本人記者解放のニュースが・・・

人とマイクの画像。インタビューのイメージ

ミャンマーで拘束されていた日本人フリージャーナリストの北角裕樹さんが解放されたニュースを見ました。何はともあれ安心しました。「現地で拘束される」というニュースが日本人外国人問わず(なにげに)多く見受けられる印象ですが、物事を「もし自分だったら・・・」と想像してしまうクセを持つ私にとっては恐ろしさしかありません。

今回の日本人ジャーナリストの拘束も、もし起訴されたら解放は難しいらしく、その記事の締めくくりに、「ミャンマー側が日本のこれまでの取り組みを考慮したのだと思う」という日本の外務省幹部のコメントが印象的でした。

「名刺発見」の件もあり、人質の解放もあり、と自身にとって、偶然重なったミャンマー感情。歴史や地理、経済など無頓着な私ではありますが、今回この沸いた興味心の赴くまま、ペンを走らせてみようかと思います。

私達にも見える「カケラ」を拾ってみる

軍事クーデターが発生しミャンマー国軍総司令官が全権を掌握している、と今年2月の報道で聞き、「大変なことになってるんだね。」という理解に留まり完結。僕等(の生活)にとって所詮は「対岸の火事」程度の見方が正直なところかもしれません。でも、なんだか自分の気持ちに違和感があることも事実。ミャンマー事情を全く知らない私にとっては、「なんでクーデターなの?」、「なんで一般市民に犠牲者がでるの?」、と疑問だらけ。一旦浮かんでしまった疑問をそのままにしておくとモヤモヤしてしまう。これってが正常なのかもしれませんね。きっと無意識のうちにモヤモヤを晴らきっかけを探していたのかもしれません。

疑問が晴れたからといって、その後何ができるのだろうと思いつつも、目に見えるカケラだけでも拾ってみようかな、と敢えて気楽な気持ちでミャンマーの最近の歴史を調べてみました。

19~20世紀のミャンマーの歴史

1824,1852,1885年イギリス植民地へ(三度にわたる「英緬戦争」で敗戦)
1886年イギリス領インド帝国の一つの州へ
1935年インドと分離
その後第二次世界大戦中に日本が占領。ビルマ国としてイギリスから独立するも日本敗戦により再びイギリス植民地へ
1948年ビルマ連邦共和国として独立
1962年(クーデター後)ビルマ社会主義計画党のネ・ウィンの独裁政権へ
1988年ネ・ウィン体制の崩壊。ミャンマー国軍のクーデター。軍事政権が始まる
Wikipedia 「ミャンマー」より引用

本当に「ざっくり」とまとめてみただけですが、「歴史は繰り返される」という言葉がしっくりとくるこの流れ。現在のミャンマーはまさに、1988年と同じような状況になっているのでは?!そんな印象です。そして、外敵、そして内戦・・・と、戦い歴史を刻んでいる国なんだな、と感じました。でも戦いの歴史の観点でふと考えると、かつての日本も同じと言えるかもしれません。何せ、明治から昭和の太平洋戦争終戦まで、ほぼほぼ戦争を繰り返してきたのですから。その歴史の中に日本によるビルマの占領もありますよね。

ところで「ビルマ」は「ミャンマー」となる前の国名なのですが、「Wiki先生」を覗いてみると、どうや、現在でも、いずれの呼称を受け入れるかは各国次第らしいですね。機会があれば調べてみるとして、この辺りの事情について今回は、スッ飛ばします。ただ、興味深い説明も。

ビルマ語における自国の内名は、Myanma(文語体)、もしくはBama(口語体)とのこと。恐らく前者は「ミャンマー」、後者が「ビルマ」ということでしょうかね。文語体とは「文章を書くときに用いられる、日常の話し言葉とは異なった独自の言葉」とあり、また古めかしい文体のことも指すようで、言葉の響きに「堅苦しさ」があるようですね。

ミャンマー政府は1989年に公式の名称(英語)を”Union of Burma(ビルマ連邦)”から”Union of Myanmar(ミャンマー連邦)”へと変更し、さらに後に”Republic of the Union of Myanmar(ミャンマー連邦共和国)”へと変更しました(尚(かっこ)は日本語読みの場合)。

日本とミャンマーの関係性

2010年にアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が合法政党化されるなどの民主化が進んでからは、日本企業のミャンマー進出が加速している。

Wikipedia「日緬関係」

この頃は、日本のメディアでもミャンマーの民主化の報道はよくされていたと記憶しています。また日本企業の進出により経済の潤いのきっかけになったとも感じていました。現地での日本企業の個人プレーではなく、現地の生産指導にも携わり、両国が二人三脚で生産に取り組んだことも耳にしています。牧草地に工業団地の造成、ミャンマー日本協会の設立、投資協定が締結等、とにかく2011年以降に加速度的に日本との協力関係が築かれたという印象が当時ありました。

(急に話は戻りますが)今回の日本人人質解放の件、私には少し不思議に感じます(と、いうか勉強不足なだけですが)。それは、解放の理由として「ミャンマー側が日本のこれまでの取り組みを考慮したのだと思う」・・・と、ありましたが、そもそも拘束したのはミャンマー国軍。日本のミャンマーへの本格的な取り組みは、ミャンマーが民主化に変わってから、を指すと思っている私。直接的に日本の取り組みの恩恵を国軍は受けていないのでは?国軍が日本に義理を感じる必要はないでは?と、このくらいしか、恥ずかしながら勉強不足。これ以上私の思考は巡りません。

民主化となる2010年以前までの数多くの戦いの歴史の中で日本がその働きかけを、独裁側・民主化側等関係なくミャンマーという国の為に既に行なっていたとしたら。戦争ばかりの印象もあるミャンマーですが、実は想像以上に優しく義理堅い人柄だとしたら。・・・自身しっかりと歴史を学び始めるに十分な興味心かもしれません。

ちなみに第二次大戦中に日本はビルマを占領していたわけですが、ビルマに対する戦後処理は、1954年に締結された賠償協定で決着しており、第二次大戦後の日緬関係は良好なものであり続けた、とあります。日本と「どこぞの国」との、今も尚続くこじれた関係とは大違いですね。また、一時は慢性的な経済危機にあったビルマにとって、資本主義体制を取る日本との経済協力はイデオロギーの対立を超えて重要なものであり・・・とWikiには記載がありますが、むしろイデオロギーこそ似ているのでは、と個人的には感じます。

クーデターのきっかけ

ミャンマー連邦共和国

さいごに、ミャンマーでの軍事クーデターのきっかけとなる出来事をおさらいしておきたいと思います。

昨年2020年11月の総選挙でアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が全体の8割を超す議席を獲得。軍部はこの選挙結果を不服とし「不正選挙が行われた」と主張。クーデターが起きたのは、総選挙後の初の議会が開かれる予定だった今年2021年2月1日。ウィンミン大統領やスー・チー国家顧問が拘束。尚、そもそも不正選挙を裏付ける証拠はほとんどない、とのこと。

この部分だけキリとって見る分には、まるで軍部のチンピラ行為。全貌を知るには、歴史を含めミャンマーという国を紐解いて行くしかないように感じます。

軍部の独裁。宗教の対立、そして数年前よく報道されていたロヒンギャ問題。いずれにしても大きな問題を抱えている国。しかしかつては東南アジア有数の大国。天然資源が豊富で、石油の生産・輸出も盛んに行われていました。宝石の産出量も多く、ルビーやサファイヤの産出は有名。かと思えば、主要産物は「米」だったりします。歴史もあり、人的資源も豊富なミャンマー。あらゆる面の資源において、発展していてもおかしくない国ですが、国連の基準では「後発開発途上国」との位置付け。残念ながら「戦」がその足を引っ張っているように見受けます。

日本も日本で、「戦」こそないものの、20年以上のデフレ国家。GDPも下がりっぱなしで、「経済大国」という言葉は、既に今は昔。各国とも、現在のミャンマー情勢に手を出したくても具体的に行動できない状況の中、信頼度が(比較的?)高く、イデオロギーもシンクロする日本国が、現在のミャンマーへ何かしらの手を差し伸べられないものか、と願って止みません。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

この後、「ミャンマー人のカーディーラー」へメールをしてみたいと思います。「元気ですか?」と。

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